流動性知能と結晶性知能

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流動性知能と結晶性知能

たくさんの高齢者と接していると、あらゆることにおいて年々衰えていくことがよくわかります。知能もまたそれが顕著に現れてきますね。知能は10代後半にピークを迎え、20代以降は衰退の一途をたどると言われます。だけど、実際これは知能の一部にしかすぎません。知能には、成人してからも発達し続ける側面と衰退していく側面があるのです。

キャッテルという心理学者は、知能を〈流動性知能〉と〈結晶性知能〉に分けた。〈流動性知能〉とは、単純な記憶力や計算力など、作業のスピードや効率性が問われる問題の遂行に役だてる能力。文字や数字、図形などを単に記憶することや、簡単な計算を暗算で行うことによって測られる。これは青年期がピークで、その後は徐々に衰えていくものなのですよ。

今は、世の中は情報化社会で、昔と違い、人が自ら記憶や計算しなくても、コンピューターやインターネットによって十分補うことができますね。こんな〈流動性知能〉は、たとえ衰えても、さほど日常生活や仕事で困ることはありません。

一方、〈結晶性知能〉とは、言語理解や経験的判断など、作業が問われる課題の遂行に役立つ能力。これは成人期以降でも伸び続け、老年期になっても伸びていく。経験の蓄積がものをいいますね。

ある実験によると、意味のつながりのない単語のリストの単純な暗記課題では、30歳ですでに成績が低下し始める、それに対して、文書や人の話を理解する課題とか、言葉の意味の理解といった複雑な読解力が必要なものは、60歳になっても、いや70歳でも、人によっては80歳を超えても伸び続けるというのです。

このことは、経験というのものが知的作業を促進させることを現わしていますね。つまり、実社会でどれだけ歳を重ねても有能に働くには、計算の速さや暗記力よりも、人生経験や仕事の経験によって生み出され、蓄積される知識や智恵をいかに使っていくにかかっているのですね。

「顧客の〈結晶性知能〉を伸ばす」、“ライフヒストリー良知”の事業目的でもあるのです。

ファミリーヒストリー(家族史)と家伝記

今、NHKで〈ファミリーヒストリー〉という番組が人気を博していますね。月1回、月曜日の19時半から1時間ちょっとの放映で、著名人のの先祖を辿って先祖がどんな仕事や生活をしていたか調べあげるのです。さすがにNHKの取材陣は凄いですね。お金も相当かかっているでしょう。

私は現在、有名人でない普通の人たちの〈ファミリーヒストリー〉を描き出しています。

ひとくちに〈ファミリーヒストリー(家族史)〉と言っても、人が抱くイメージはそれぞれ異なりますね。今私たちが制作している口述自伝〈ライフヒストリー良知〉のようなホームページ方式で作るのか、一冊の本にするのか、巻物になった家系図のようなものに仕上げるか、はたまたこのNHKの〈ファミリーヒストリー〉のような映像にして後世に遺していくのか?

どんな完成品にするか、そのイメージを持つこと。そのためには、まず先祖を把握し〈家系図〉を作ることから始めていきます。

では、先祖はどこまで遡(さかのぼ)ればいいのか? 民法の定義では、親族とは「六親等内の血族、配偶者、三親等内の姻族」なっています。一世代を25~35年とすれば、六代前とは150年から200年ぐらい前あたりまでが親族の範囲となりますね。

呼び方で言うと、一代上を父母、二代上を祖父母、三大上を曽祖父母、四代上を高祖父母と言います。特定の呼び方があるのはここまで。そこから先は、「五代前の先祖」とか「六代前の先祖」となります。仮に特定の呼び方がある四代前とすれば今から100年から150年前のこと。明治から大正時代ですね。

家系図〉を作成した次の段階では〈ファミリーヒストリーブック〉、〈家伝記〉と言ってもいいと思いますが、を作成するために私たちが代筆していきます。これは家族に伝わる伝承や記録を取りまとめたものです。

家系図〉自体は、血縁関係を機械的に記したもので作業をきちんとやれば、それほど出来不出来の差はでない。だけど、〈家伝記〉は、その時の先祖の思いや価値観、行動様式などを書き綴ったものであり、またその時代の人と人とのつながりなども記録しており、〈ファミリーヒストリー〉記録の肝は、この〈家伝記〉にあると言っても言い過ぎではないですね。

これが私たちライフヒストリアンの腕の見せ所になります。

NHKの〈ファミリーヒストリー〉が毎回視聴者の感動を呼ぶのは、出演する人と先祖との関係が明らかにされ、その当時の様子や人間模様などが克明に表現されているからなのですね。

家系図とともに〈家伝記〉をぜひ、作りましょう!

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判断の背後の記憶

ものごとを〈判断〉するのに、何らかの基準とか理由が必要ですよね。

ではその基準はどこにあるのだろう?その理由はどのように組み立てているのだろうか?

そう考えるとき、私たちが日ごろ何気なく行っている〈判断〉の際にも、これまでに経験したり、見聞きしたり、人からアドバイスを受けたり、本を読んで知識を仕入れたり、ネットから情報を得たりした時の〈記憶〉が基準になっていることに気づきます。自分の〈記憶〉から関連することがらを引き出し、現状と照らし合わせながらもっとも適切な〈判断〉を下しています。

私たちは、〈判断〉するとき、決して客観的に行っているわけではない。同じような状況に置かれても、人によって『これがいちばんいい』とみなすそれぞれの結論が違いますよね。なぜでしょう?それは、それぞれが背負っている過去の経験が異なるからなのです。言い換えれば、脳から引き出され参照とする〈記憶〉が違うからなのです。

つまり、過去の成功体験や失敗の経験の〈記憶〉は、今判断する際にとても大きな力を持つのです。過去に置き去りにしてきたものを拾うことによって、人生の軌道修正を行うというのは多くの人が経験することですね。

ところで、私は最近、若い頃の夢やこだわりをいつの間に忘れてしまい、現実の世界にどっぽり浸かってその要請に応えるばかりの生活に明け暮れてきたなぁと考えることが多くなってきました。いつの頃からか、自分の時間を生きてこなかったなぁという思いがこみ上げてきます。

自己を認識し自分の価値観が何であるかを知ることが大切ですね。価値観が合わなければ、うまくできても、例え儲かっていても、そこからは充足感は得られない。自分自身で納得のいく方向に進んでいると感じて初めて、モチベーションが高まりますからね。

これからは、自分の価値観に沿った生き方をしていくことが大事だとひしひし思っています。だけど、自分がどんな価値観のもとに生きていこうとするのか、今の年齢になってもなおわからないことがある。おそらくそんな人もけっこう多いでしょうね。その目指すべき方向がわからないのなら、自分の〈記憶〉、それも〈自伝的記憶〉をたどっていくことだと確信しているのです。

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1926年~2019年の「年表」の作成について

1926年~2019年の「年表」の作成について

一般的に、文章を作成するときには、事前にどんなことを書いていくのかをまとめておく必要があります。おおざっぱな流れをメモ風に記すことが多いのですが、これを怠ると順番がめちゃくちゃになりますね。このメモのことを「コンテ」と言います。

ライフヒストリー良知における「ライフヒストリーホームページ&ブック」を制作する際、この「コンテ」に該当するのが「ライフヒストリー年表」です。この「年表」を作る意義は、それによって広く大きな視点から、自分の人生全体をパッと見渡せることができることにあります。

ライフヒストリー年表」の骨格は、『誕生+幼少期+学歴+職歴+個人生活歴+家族歴』といったものになるでしょうか。まずは、そのアウトラインを自分の思い出すがまま話したり書いたりしてみることです。

また、ライフヒストリ―良知は、1926年(大正15年・昭和元年)~2019年(平成31年・令和元年)に至るまでの年代に起きた出来事を政治/経済/世界/文化/社会/世相/トピックスの7つのジャンルに分け、その年に流行った映画や音楽、流行語、ベストセラーになった本、ヒットした商品やサービス、活躍したスポーツチームや選手たち、その他いろいろな話題などを画像を入れながら詳細に記載しています。(現在のところ1926年~1956年までの年表ですが、日々書き入れていきます。)

その理由は、その当時の時代背景や様々な出来事を知ることによって多くのヒントが生まれ、皆様の脳に深く刻まれ記銘された長期記憶を呼び起こすことができ、「ライフヒストリーホームページ&ブック」の制作に大いに寄与していくからです。

この「ライフヒストリー年表」がより充実したかたちで仕上がれば、皆さまの口述自伝である「ライフヒストリーホームページ&ブック」は半分完成したと言っても言い過ぎではありません。

まず、皆さまだけの「ライフヒストリー年表」を作っていきましょう。

記憶は発想の宝庫

記憶は発想の宝庫

「何かを創造したり、ものごとを発想するときの心の機能は、〈記憶〉とは相反するものだ。」ということをよく聞きます。「〈記憶〉は過去に縛られているから、創造力や発想力を鍛えるためには〈記憶〉に頼ってはいけない。」とかも。

だけど、これまで言ってきたように、〈記憶〉というのは生き物であり、たえず変容して思い出すときの心理状態によって書き換えられ、そんな〈記憶〉の素材の意外な結びつきが新たな創造につながっていくのです。

例えば、日清食品の創業者、安藤百福さんのお話。安藤さんは金融関連の仕事に失敗して大阪府池田市の小さな家に引っ越した後、次のビジネスのことを必死に考えていた。

ある日、戦後の食べ物がないところに屋台のラーメン屋に列を作っている〈記憶〉や美味しそうにラーメンを食べる人たちの笑顔の〈記憶〉が蘇ってきた。かつてものづくりをしていたか〈記憶〉と結びつけて、「ラーメンを工場で作ろう」という発想が生まれたそうです。それが20世紀最大の発明といわれる「チキンラーメン」なのです。

あらゆる発想の背後には、何らかのヒントになる〈記憶〉が潜んでいる。世の中にはよくひらめく人がいますが、このひらめき型の人は、細かなことまで覚えなくても、異質な〈記憶の断片〉を結び付ける柔軟さを持っているのです。

つまり、〈記憶〉とは発想の宝庫。発想の手がかりは自分自身の記憶の中に眠っている。したがっていい発想を得たいと思ったら〈記憶〉を活性化することが大切なのですよ。

嫌なことは忘れやすい

嫌なことは忘れやすい

仕事柄、高齢の人たちと会話する機会が多く、認知症や記憶を失うことへの不安などがよく話題になります。統計的に認知症は、65歳以上が7人にひとり、80歳以上が3人にひとり、90歳以上が2人にひとりになると言われています。実際の介護現場に関わる感覚から、認定証の程度にもよりますが、概ねそのような数字になろうかと思います。

記憶の劣化を防ぐことや脳の健康を保つことをコンセプトとしてこの事業を推し進めていますが、中高齢のお客さんへのインタビューする際にいろんなヒントを与えることで、脳に奥底に眠っていた数々の記憶がよみがえるという感触を掴むことができるようになってきましたね。

ところで、これまで何度も「ときどき昔のことを思い出す習慣をつけましょう」と言ってきたけれど、過去の悲しく辛い出来事、嫌な体験など思い出す必要があるのかということをよく言われます。そのような思い出は、どうしても否定的な心理状態のもたらすので、当然の質問ですよね。

以前、記憶は思い出すときに作り直される側面があると指摘しました。思い出は現在の心理状態や価値観を映し出している。今の生活が順調で良好な心理状態であれば、ネガティブな思い出もポジティブなものに解釈し直すことができるんだと。

だけど、あえて「辛い嫌なことを思い出す必要はないですよ」と返答します。その方の現在の心の内がわかるまではそう言いますね。少しでも何かを抱えているなら気が滅入ってしまうモチベーションも下がりますから。

思い出が美しくなるというのも、昔は良かったという気持ちを持つ人が多いのも、嫌なことは思い出しにくくなるからですね。そこには、フロイトのいう「抑圧」という深層心理の働きがあるようですね。「抑圧」というのは、意識にのぼると不安になったり、不快になったり、怖くなるなど、否定的な気分をもたらすことがらを無意識に封じ込める心理メカニズムのことです。

フロイトは、「記憶喪失」なんかも「ど忘れ」もこの「抑圧」が絡んでいると言っています。例えば、好きな女性がある知人と結婚して以来、その知人の名前を「ど忘れ」するようになったという事例をあげて、それまでは当たり前のように名前が出てくる相手だったのに思い出すことができず、いつも周囲の人に名前を尋ねるありさまだったと。その知人の名前は、好きな女性が他の男性に奪われたといった心に傷になる出来事と結びついているために、抑圧が働き、思い出しにくくなっているのですね。

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ど忘れ

ど忘れ

記憶の研究をはじめて数年がたつけれど、この間、ものごとや人の名前についてなかなか出てこない場面が多くなってきたなぁと感じています。だけど、そのときはいくら考えても思い出せないのが、あとになってふと思い出したりするのです。

これが、いわゆる「ど忘れ」。ほとんど加齢によるもので、ただど忘れは認知症とは全く別のものだと言うことを理解しておいたほうがいい。記憶の痕跡が消えたわけではなく、記憶の痕跡はあるのにアクセスすることができないだけなのです。

この本で読んだのは確かなのに何回パラパラとめくってもどこに書いてあるのか見つからない、そんな時は、検索があれば、該当箇所にたどり着くことができますよね。同じように「忘却」というものが検索できないことによって起こるとするならば、「忘却」と「ど忘れ」は同じような意味になる。あとになって思い出すというのは、思い出せないときも記憶はしっかり保持されていることですから。

であれば、「忘却」を防ぐには、図書館の本の分類のように記憶をしっかり整理しておけばいい。とは言っても覚えたことを分類して頭の中に入れることができるかどうか。

以前にも言いましたが、大切なことはときどき思い出す「くせ」をつけたり、「習慣」にしていくことですね。アクセスの回数が増えることで検索力が強くなっていきます。とにかく繰り返していく。

心理学者のワグナーという人は、毎晩、その日にあった出来事を記録するという作業を6年間続けました。そして2,400個ほどの出来事の記録が出来上がった。その際、「だれ」「何」「どこ」「いつ」という4種類の情報を必ず記すようにした。ときどき記憶検査を行い、この4つの手がかりを順に提示してその出来事を思い出すことを試みたそうです。

その結果、検索手がかりとして有効なのは、「何」「どこ」「だれ」「いつ」の順に高いことがわかった。例えば、「4年前の2015年の5月3日に何があったか?」と問われても、いったい何のことか、なかなか思い出すことができない。だけど、「4年前に同窓会があっただろう?」と言われると、それはどこで行われたとか、どんな様子だったとか、誰と誰がいたとか、いつの頃のことだったかを即座に思い出すことができると言うのです。

【実際に2015年5月3日に我が母校「滋賀県膳所高校の卒業40周年記念同窓会」を大津市の琵琶湖ホテルで開催しています。写真は同窓会の翌日、湖西の道を小旅行した時に撮影したものですよ。】