記憶痕跡崩壊説

記憶痕跡崩壊説

使わない記憶はいつの間にか薄れていきますね。

私は、40年ほど前に韓国の大学を卒業したのですが、そのころ覚えた韓国語が今はあまり使うことがないため、いざ話そうとしてもすぐに単語が出てこない。言葉の断片だけで会話をしてしまう。しばらくすると少しづつ思い出してくるのですが。

そんな昔でなくても、例えば数年前に覚えた歌をいざ歌おうとするとメロディーや歌詞がなかなか思い出せないことなどは、誰しも経験することでしょう。

しょっちゅう使っている記憶は保持されるけれども、使わなくなると次第に記憶の痕跡が薄れていくことを『記憶痕跡崩壊説』と言います。思い出す場面がないと記憶に残らないという考え方ですね。

これは、使わない記憶をいつまで覚えていても無駄であり、昔の住所や電話番号を覚えていても意味がない。使わないものは削除してしまったほうが記憶の使いがってが良く、記憶の効率が高まっていくという脳の機能からきているのです。今覚えたことを、この後に使うかもしれないと思うのであれば、記憶の痕跡が崩壊してしまわないよう、ときどきそれをなぞるように反芻しておくことが大事なのです。

先日このブログで、「ときどき自分の過去を振り返る習慣をつけましょう」と言ったのは、まさに記憶を痕跡を保持し検索しやすくするためなのですよ。

ところで、明日までに覚えておかなければならないことを頭に叩き込んだら、すぐ寝るのがいい。起きていると、テレビを見たり、音楽に聴き入ったり、人と話をしたり考え事をしたり、他の刺激にさらされやすい。新たな刺激が入ることで記憶が妨害されるという考え方を『干渉説』と言います。刺激の干渉が忘却を引き起こすという考え方ですね。また夢を見ても忘却が進むようです。

睡眠には、余計な刺激にさらされるのを防ぐ効果があり、また覚えたことを定着させる効果もあります。『覚えたらすぐ寝る』、これが記憶力向上のキーワードのひとつですね。

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信念と記憶力

信念と記憶力

欧米先進国では「記憶の専門家」という人たちがたくさんいます。近年脳の機能を解明するいろんな機械や装置が開発されて以来、記憶研究に関する成果がいろいろ世の中に出てきています。

日本でも脳神経科学を専攻する大学の先生や学者を中心に飛躍的な研究が進んでいるけれど、欧米の「記憶の専門家」にはジャーナリストもけっこういるんですよ。どちらかというと脳とか記憶というのは難しい言葉が列挙されて、なかなか理解できないことが多い。そんな中、彼ら彼女らは極めて易しい表現で脳や記憶のことをわかりやすく説明してくれます。

私は口述自伝制作事業を推し進めていくなかで、これら「記憶の専門家」が書いた論文や書籍からいろいろな知識や知恵を授かっているのです。

そんな研究のなかのひとつに〈信念〉と記憶力の相関があります。記憶力は加齢により減退するするというのは当たり前のように世の中に行き渡っていますよね。面白いことに、歳を重ねるにつれて記憶力が悪くなるという考えが広まっている文化圏では加齢による記憶の低下がみられる。ところが、そんな考えが広まっていない、というか知らない文化圏では、加齢による記憶力の低下は見られない、というのです。

これはどういう事かと言うと、加齢によって記憶力が低下するという〈信念〉を持つことによって記憶力が低下しやすくなり、歳を取っても記憶力は衰えないという〈信念〉を持つことで記憶力は保持される、人によっては向上することさえある、ということなのですね。

考えてみれば、私たちは生活するなかで、この〈信念〉に強く規定されていますよね。私たちは自分の『信念』を守るために考え行動し判断する。ときには敢えて困難な道を選ぶこともあります。

記憶力が悪くなることへの不安はたくさんの人たちが抱いています。〈信念〉が記憶力に影響するのなら、「記憶力は年と共に衰えていくという〈信念〉を私は決して持たない」という〈信念〉をいかに心に刻むか、これが大切なんでしょうね。

そして、この『〈信念〉と記憶力の相関』について顧客にしっかり伝えていくことを、私の〈信念〉にしているのです。

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ときどき『自分の過去を振り返る習慣』を身につける

電車や自動車など交通手段の発達によって、現代人の足腰は確実に弱っています。それを補うために、スポーツジムに通ってランニングマシンの上を走ったり歩いたり。何を況や、とても皮肉な光景ですね。

ギリシアの哲学者プラトンは、文字の発明に批判的だったらしい。なぜなら文字を使うことで、人々はものごとを容易に忘れるようになるからだという。確かにそうですよね。文字を外部記憶装置と呼ぶのが適しているかはともかく、レコーダや今なら人工知能AIは、忘れてしまったことの備えとしては有効だけど、それに頼ることで記憶力の衰えが加速していきますからね。

釈迦や孔子、キリストの弟子たちは師匠が発した言葉を一言一句違えることなく記憶した。注意力と集中力があれば人間はそれができるのです。

電卓を使うことで計算能力が衰え、パソコンを使うことで漢字を覚える機会が少なくなり、携帯電話によって電話番号を覚える必要性がなくなった。私の場合は学生時代好きだった女の子の電話番号を今でも覚えていますが。

つまり、私たちが日常生活のなかで、自分の頭や脳で覚えておかなければならないことが少なくなってきたのです。そうすると記憶能力が加速度的に衰えていく。ではこんな時代に何が必要なのでしょうか。

大事なのは、ときどき『過去を振り返る習慣』を持つことなのです。これまでもことあるたびに言ってきた言葉です。

私たちは、計算も漢字も電話番号もわざわざ頭をトレーニングして覚える必要はないけれど、ライフヒストリー(自分史)だけは、自分の頭以外のどこにも保存されていない。自分の生育史、人生の流れ、或いは自己の物語は、自分自身の記憶に残しておくしかないのです。そして、これが後世に向けたとても貴重な資料になります。またこの自伝的記憶は、仕事や人間関係を円滑にするうえで、或いは課題を解決するために大いに役立つのです。

子孫へ自分の歴史を遺すためにも、また問題解決能力を高めるためにも、ときどき自分の『過去を振り返える習慣』を身につけましょう。これは記憶力を増大させるトレーニングにもなる、まさに一石二鳥なのですから。

自伝的記憶

私たちには、幼い頃から現在に至るまで自分というものを作り上げてきた歴史や物語があります。いわゆるライフヒストリー、そしてライフストーリーですね。この歴史や物語を成り立たせているものが、『自伝的記憶』と呼ばれる記憶なのです。

何歳の頃にこんなことがあった、その時自分はこんな気持ちになった、その出来事がその後の自分にこんな影響を与えた、というようにこの『自伝的記憶』にはその事実やそれに対する評価がたくさん詰まっているのです。

『自伝的記憶』が引き出されるとき、出来事そのものだけでなく、それにまつわる思いとか考えも同時に引き出されてきます。だから、独り静かに過去を振り返る時、或いは人に自分自身のエピソードを語る時、懐かしい思い出に浸ったり、後悔の念に苛まれたり、悔しい思いを再燃させたり、あるいは誇らしい気分になったりしますね。その思いを書き綴ったり、信頼する人に心の内を吐くと、自分を再発見したり、自己認識を新たにしたりすることが意外と多いものです。

『自伝的記憶』に含まれる諸々のエピソードが、結局のところ、自分らしさを教えてくれるようです。つまり、自分が何者であるかというアイデンティティは、この『自伝的記憶』によって支えられているといってもいいでしょう。

ところで、『自伝的記憶』の研究で有名な認知心理学者にアメリのルービンという人がいます。ルービンさんは自伝的記憶の想起量の年齢分布についての研究ーこれを『ユービンのバンプ研究』と言っていますがーを行ってきた学者さんです。「50歳以上の人は、10代~20代の頃の出来事はそれ以降の出来事よりもよく思い出す」という傾向があることを発見し、これまで一貫して確認してきました。この現象を『レミニッセンス・ピーク」あるいは『バンプ』と呼んでいます。

10代~20代の頃の自伝的記憶がよく思い出される理由として、この時期は自分の生き方を模索し進学や就職、或いは結婚などについて考え決断をしなければならない。その後の人生を大きく方向付けた出来事もいっぱいあるし、友情とか恋愛にまつわるエピソードも多いからなんでしょうね。

ライフヒストリアンとして、『ルービンのバンプ研究』の成果をしっかり認識し把握してかなければならない。顧客の脳の中の抽斗(ひきだし)に仕舞われているこの頃の『自伝的記憶』をいかに引っ張り出してくるか、これが最も大切な命題だからです。

過去は変えられるか?

人は誰しも人生を振り返ると、うまくいったことがあったものの後悔することも多く、“過去を変えられたらなぁ”と思うときがありますね。だけど、これまで起きた身の回りの出来事や客観的な事実を起こらなかったことにするーなんてぜ~ぜ~ぜったい不可能ですよね。だから一般的には『過去は変えられない』というお話になるのですが。

前回、アウグスティヌスの記憶論、「私たちの過去はどこにあるか、それは今ここにいる自分自身の心の中にあるのだ。10年前の自分も、30年前の自分も、10年前や30年前のどこかにあるのではなく、自分自身の心の中にという、極めて主観的な場所にある。」という論理についてお話しましたね。

最近、この記憶論に触れてつくづく思うこと、それは私たちが生きているのは結局『意味の世界』であって、その出来事や事実そのものの世界ではない。自分に降りかかった出来事や事実から当時とは違った『意味』をくみ取ることが実はたいへん多いことに気づかされる。

と言うことは、過去とは決して固定的なものではなく、ひとつの解釈であって、主観的な意味づけの産物であるとすれば、『過去は変えられる』のです。

このあたり、もう少し心理学的知見から究めていきますよ。

アウグスティヌスと記憶

「お客さまの記憶を作り直す。」 これが口述自伝“ライフヒストリー良知”の事業目的のひとつです。

心理学者の榎本博明さんは、「記憶の整理術(忘れたい過去を明日に活かす)」という本の中でこう言います。『記憶というのは、単に過去を振り返る心の機能だけではない。記憶は、未来を見通す心の機能であり、現状をとっさに見抜く心の機能でもある。』

この中で神学者として有名なアウグスティヌスと記憶の話について書いています。今から1600年以上の前にアウグスティヌスは、「未来はまだここに存在しない。ゆえに未来や過去が存在するとしたら、今ここの現在以外に考えられない。つまり未来とか過去といったものは存在しない。あるのは過去についての現在、現在についての現在、そして未来についての現在である。そして過去についての現在が『記憶』だ。」と言うのです。

『思い出される過去には、思い出す現在の視点が色濃く反映されている。ゆえに、「今ここ」で思い出される記憶には、今の心理状態や価値観・欲求が強く関係している。過去の自分の悲しい出来事を今穏やかな気持ちで思い出す場合、悲しみを記憶しているはずなのになぜ悲しくないのだろうか。』

つまり、想起によって記憶から取り出されるとき、その出来事はかつての心ではなく現在の心で味わわれる。以前は悲しいて仕方なかったことも、自分を鍛えてくれた懐かしい出来事のように思い出されたりする。

榎本さんによると、最新の心理学は、このアウグスティヌスの考え方に回帰してきているのだと言います。つまり、記憶と言うのは、出来事が起こったときのままに引き出されるのではなく、思い出すときにつくり直されるのだ。

「記憶を作り直す。」 この時、心理カウンセラー、或いは私たちのようなライフヒストリアンのような存在が必要なのですね。

AI(人工知能)-「音声認識(声を聞き取るしくみ)」

AI(人工知能)-「音声認識(声を聞き取るしくみ)」

口述自伝“ライフヒストリー良知”を完成させるために、AI(人工知能)を使った取り組みを行っています。その際の声を聞き取るしくみについて少しお話しします。AIが人と会話するためには、AIが人の声を聞き取り、何を言っているのか特定しないと始まりません。これが「音声認識」と呼ばれる技術です。

音声認識」ではまず、マイクで拾った音が何であるのか、つまり「あ」なのか「い」なのかなどを特定する。声の高低や大小にかかわらず、私たちは「あ」と言われたら、それが「あ」だと聞き取れる。それは音質が違っても、「あ」に共通する音の特徴があり、それを脳が認識しているからだ。

AIによる音声認識では、「ディ―ププラニング(深層学習)」という手法で音の特徴を学習する。「ディ―プランニング」は人の神経細胞(ニューロン)のつながりを模倣した「ニューラルネットワーク」というシステムを使った学習方法。ニューラルネットワークにいろんな人が発音し、「あ」や「い」などの音を区別するための判断基準を、AIが独自に獲得する。人が判断基準を教えるわけではない。判断基準を自ら獲得したAIは、はじめて聞く「あ」の音を、「あ」だと判断できるようになる。

滑舌がわるかったり、周囲の雑音が入ったりして、間違った音に判定されることは少なくない。そこで音声認識では、「とりあえずこう聞こえた」という聞き取り結果の候補をいくつも出力する。

その後、文法と辞書の情報を参照して、各候補に点数をつけていく。例えば、聞き取りの結果、「ほいしいごはん」か「おいしいごはん」のどちらかだったりすると、後者の方が辞書にある「おいしい」という単語を含み、意味が通るから高得点になる。最も点数が高い、すなわち日本語として正しそうな候補が最終的に採用される。

AIは、私たちと同じように、途中で聞き取れない音があっても、文法や語彙の知識を使って補正していくのですね。

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